食養内科

7 もし、人が病気になったとしたら

 日野先生が60歳の時、私は日野先生の許へやってきました。今、私はその年齢を越してしまいました。日野先生と一緒に10年仕事をし、日野先生が亡くなってから24年間、医療に携わってきました。合計34年間、日野式食養生を学んできました。そして漢方を学び、病気について学んできました。
 15年間勉強した頃、日野式食養生は法則があって無いようなもので、固定したものは何一つなく、何か哲学のようなものだと思っていました。
 今、思う事は日野食養医学の中身の深さです。アトピー性皮膚炎を診た時にその効果に驚きましたが、経験を積めば積むほど、日野食養医学の奥の深さが見えてくるように思います。
 私の成長は亀の歩きの如くでありますが、それでも時間と共に成長し、日野理論が分かりかけてきたと思っています。
 ここで紹介する文章は、遥か昔の記事ですが、日野先生が初診患者全員にわたしていたものです。今読んでも通用する内容だと思いますので紹介します。

「世論時報」昭和52年2月号
特集●まやかし健康法ブームをつく
もし、人が病気になったとしたら、それはその人の責任である。
病は、正しい判断力の欠如に対する赤信号である。当たり前な考え方、当たり前の生活を忘れて、いたずらに健康法を追い求める現代人の誤りを正す―――。

北品川総合病院(東京・品川)第三内科部長・日野 厚医博に聞く

◆当たり前のことができない

 北品川総合病院、第三内科部長の日野厚先生は語る。
「僕のとこは、フリーの患者さんは一人もいない。紹介で来る人しか診ていない。誰が紹介するかというと、大概ドクター、栄養士、鍼灸師、ナースね、それから自然食品店。そしてここにかかった人。ある程度の満足が得られなかったら、いつまでもこうして紹介しないと思うんですよ」
 何年にも亘って紹介から紹介が続くという日野先生の治療方法とは、一体どんなものだろうか。病院から病院をまわり、しかも経過が思わしくなく諦め切って来る人が、この先生独特の治療でよくなっていく。
「非常に多くの因子が、体質、健康に何らかの影響を及ぼしているという見地から、私の場合全体医学的・東洋医学的方法で健康をレベルアップする方法をとっているが、その様々な因子のうち、食生活によるものが大きな比重を占める。ところが、その効果が上がっている食事の基本方針はどうかというと、バカみたいなことしか言っていない。講演に行っても、まっ先に質問が出るのは、『先生の言うのは、当たり前のことで、きかんでもわかる。それでどうしてよくなるのか』とね。しかし、私から言わせば、皆は頭で当たり前になっていても、体で当たり前にはなっていないんですね」
 添加物が入っているものがいけないことは、耳があり目がある人なら誰でも判っている。しかし、実際に、どこまで日常生活でそれに気をつけ、食べないように制限しているか、精製度の高いものは避けようといっても、白砂糖を控え、白パンを控えている人がどれだけいるか。また「少なくとも日本では、動物性蛋白質のみを尊重する風潮は、十分検討を要する」とは言っても、動物性蛋白質一辺倒の風潮のとりこになっている人はまだまだ多い。さらに、空腹でないのに漫然と食事をしたり、間食をさんざんしたり、寝がけに食べたりする人々はゴマンといる。頭では当たり前とわかっていても、体で行っている人は実に少ないのである。
 生活の基本的なことを日々実践していれば、自ずと健康は獲得できるものを、実行しないために病気になっていく。そこには、確固たる人間観もなければ、人間観に基づく人生観も持ち合わせていない。それでなくても、現代という時代は、汚染物質が氾濫し、自分で自分を防衛しなければ、健康を保てない状況であるにも拘らず、人間としての根本の生き方を人々は忘れているのだ。
「私なんか添加物の問題にしても、また農薬の問題にしても、ずいぶん以前は危険信号の旗を振っていたんですよ。なんでボクが旗を振ったかというと、添加物や農薬や洗剤などの害を訴えたかった、ただそれだけじゃないんです。ボクの本当の腹は、それをきっかけにして、人間生活全般に亘って目を見開いてほしいと思ったからなんです。ところが多くの人はだめなんですよ。目先のただ一つの害だけをとり上げるんです。水俣病といったら、水銀だけに気をつけるんです。DDTならDDTだけを恐ろしがる。それじゃあダメなんでね、それをきっかけに、エコロジカル(生態学的)にものを考えてほしいと訴えたんですが、なかなか覚めないわけです。肉食が悪いといっても、なぜ悪いか、どうして悪いかということに気がつかす、ただ肉を食べたらいかんということに固執する」
 ともかくすべての根源は、人々が価値観に対して盲になったことだという。批判力、判断力がなくなった。食べ物に限らず、文化全般に対して確固たる自分の考えというものがない。

◆意地きたなさが病をつくる

「今も何とか健康法というものが沢山ありますが、それを正しいと思ってやっている人達も、現代医学を批判する資格はないと思うんです。なぜなら、発想法が似たリ寄ったりなのです」
 現代医学にしろ何とか健康法にしろ、なってしまった結果の病気をなおそうと、この薬が効く効かぬとか、この食品がよい悪いというが、そのような病気にまで至らしめた、日頃の生活のまちがいを指摘し、考え直せというものは少ない。
「おこがましい言い方かも知れないけど、僕なんか、患者さんの病気を治す気はあまりないんですよ。それはただのとっかかリというか、生活の考え方のまちがいの反省のきっかけといったらいいでしょうかね。病気を通してそれに目覚め、正して行って貰いたいのです。それがなきゃあ、僕は患者を相手にするのは楽しみじゃあない。
 病気をとっかかりとしてドブ掃除をすることです。なんでドブが詰まるか。この原因を放っておいて目先のことばかり治そうとしても、たとえ治ってもまた出て来ますよ。頭を改造しなけりゃどうしようもないですね。その根本を直さないで、食事療法なんていうことやってもダメですよ。一時は効果が上がっても結局はダメです。
 自然食とか健康食とか言って、非常に目覚めたような顔をしとる人が多いです。ところが、おかしなことにはそういう人々に限って特別また意地きたないのが多いんですよ。例えばどういうことかというと、意地きたなく食べて病気になっている人が多いに拘らず、それを治そうというとき、「何々を食べて」治そうと、こういう意地きたないことを言うわけですよ。むしろ、こんな時は食べなきゃいいんです。今は、何らかの形で食べ過ぎているんです。何かを食べ過ぎてバランスを崩している。あるいは絶対量を食い過ぎている。殆どがそれなんです。
 食べすぎて下痢しているのに、何を食べて下痢を止めようかと。バカ言えというんです。そんなもの一食か二食抜けばいいこと判っているじゃあないですか。自然食とか健康食に熱をあげている人々はね、とかくどこまでも食べようというわけです。意地きたないですよ。人間というのは。食べる戒律を作ると、作らなかった時よりかえって意地きたなくなる。
 僕自身がそうだった。今は、その欲からは離れていますが、はじめは自分でも愛想も糞も尽き果てたですよ。男でありながら、何だって言うんです。自分の食欲さえコントロールできなくて、ライフワークができるか。だらしない!生きているのが嫌になったですよ。自分の口さえ慎めないで、大きなことなど人に言えないですよ。
 ところが、禅宗の坊さんだ、キリスト教の牧師は、きれいごと言うけど、これを長期間、常にコントロールし続けられる人が果たしてどれくらいいるでしようか。お客が帰ってから何をしていることか。食ってないと言っても顔を見れば判るんです。たびたび肉食していなければ、テカテカの赤ら顔には普通はならないわけです。
 それで血圧が高い、糖尿だ、狭心症だって?冗談じゃない。糖尿病なんか殆どの場合、食を慎まないからなるんで、食生活が正しければ、まずそんなことになるわけないですよ」
 意地きたなさから脱皮する。これをもっている限り、何らかの心身の病は去らず、これを指摘し、これを改めさせようとしない限り、どんな医学も療法も同次元の低い域を脱しないと言う。
 意地きたなさは、食事だけではない。人間生活の万般にわたって自己中心的に物事を考え、自分にのみとり込もうとする時、人問は意地きたなくなる。自分のために飽きるほど食べても人に分け与えようとせず、己の将来のために人をけおとしても金をためようとする。己かわいさで、目が自分にのみ向かっているとき、人間は本来の自然の生き方を忘れるのだ。
 人間はできるだけ多くの人と心を開き、その人々といたわりあい、慰めあうのが望ましい姿である。そして自分と共に他を大切に思うとき、多くの人と和せるとき、多くの人のために生きられる自分を知ったとき、それが人間の本当の幸せであり、これこそ自然の生き方なのである。一つしかないものを分けあって食べる姿は美しい。因(ちな)みに言おう。食欲にとらわれた人が、何かのきっかけで、人々に作って食べて貰う喜びが判ったとき、その人は食欲のとりこから脱することを知るだろうと。
 この人間の根本のあり方を改めるべく努め、そして正しい物の見方で生活を正していこうとするときにのみ、心身の健康は得られるのである。

◆食品添加物が危険な本当の理由

 さて、日野先生は、われわれをとりまく環境のうち、食品添加物の盲点を次のように語る。
 今、わが国では、三百三十三種の食品添加物が厚生省で許可されている。一時はもっと多くの種類が認められていた。この食品添加物に対して、
「わたしたちの体が、全く新しい環境条件に対して完全に適応するのには、平均的にいって数世代以上かかる。人間にとって、今まで経験したことのない新しい環境条件、たとえぱ、たった一種類の化学物質に対しても完全に適応するのに数世代以上かかる。今、三百種以上の添加物があって、それは数が多いのみならず、複合汚染という結果を生じる。都会に住むわれわれは、毎日約六十~七十種類もの添加物を口にしているのですが、体の中ではそれらのものが、リーグ戦的な組み合わせで複合作用を起こしつつあるかも知れないということです。この複合作用をおこす組み合わせは、無限に近く多くなってくるわけですよ。これは添加物だけですが、薬品をまぜれば、さらに数多くなります。
 で、普通添加物の害というと、急性、慢性の中毒、発癌性、催奇型性、染色体異常、とまあこんなところですが、そういうものは、それなりに警戒されています。ところが、一般に関心が薄く、しかも非常に健康を害する可能性の考えられるものに、ポリ・リン酸塩があります。これは添加物公害の盲点ですよ。品質改良剤として数多くの食品に広く使用されています。たとえば、カマボコに入れれば、コシを強くし、ハムやソーセージに入れると、膨脹性、保水性、結着性を増し、練り製品、清涼飲料水、缶詰、醤油、佃煮、ソース、食酢、漬物類、味噌、豆腐、アイスクリーム、酒類、麺類、チーズ、などの変色変質防止、味の調和、風味の向上、組織の改良などに広い効果を示します。これが、実に多くの食品に添加されているのみならず、一つの食品の中に比較的多量に使われていることが多い点が問題なのです。
 この物質は、食べ物の中にあるカルシウムなどと結合し、水に不溶性の化合物にして、私たちの腸で吸収できなくしてしまうんですよ。それでなくてもカルシウムの摂取不足と日本人は言われていますのにね。
 もう一つ、インスタント食品、既成食品等には、添加物が沢山入っていますが、この添加物は、六割から七割がナトリウム塩です。心臓病や高血圧で食塩を制限されている人が、塩気ぬきでまずい物を我慢して食べていても、そういうものを食べていたのでは何にもなりません。浮腫もとれにくくなることがあっても不思議ではない。こういうことが、あまり知られずに来ている。
 それから着色料。これは、発癌性とかそんなことばかり考えているようですが、人間の消化器管の中のかなりの酵素の活生度が、阻害されているのですよ」
 実際、着色料即発癌性、添加物即中毒、発癌性、催奇型性といっているが、もっと身近かな体の中で行われている作用にわれわれは無頓渚である。

◆偏食も美食も体を悪くする

 そこで、北品川総合病院第三内科では「生態学的栄養学に基づく食生活」の具体的実行条件として第一条に、合成添加物のなるべく入っていない食品、たとえ入っていても、出来る限り安全性の高い添加物しか使っておらず、またその使用量も少ないものを選ぶ、と掲げている。さらに、二十項目あるうち、二項目に、○○療法あるいは○○健康法という何かに偏った食事を続けることを戒めているがそれは長い人類の歴史をふりかえリ、また自分の体験を通し、人間をみつめたところから割り出されているものだ。
「日本という国は、元来、非常に豊富な食べ物があるので有名なところですが、その中の極めて限られたものだけを食べることを奨めていると受け取られ易い健康法があります。これは、やはり特殊の場合をのぞいて普遍性のあるものではないと思います。そのように受け取るのは狭い考えですね。人間が自然の一部であるということを自覚すれば、やはり、その土地にできるものを偏らず順繰りにバランスよく摂るということが大切だと思うのです。例えば、一日に少なくとも四十種類以上の食物を摂れというような行き方の方が、より自然だと思います。
 極めて限られた少数の食品のみでの食生活にはついて行ける人が少ないし、そういう生活を長く続けていると、心までも偏屈になったり、排他性が出て来やすいようですね。その上闘争心が出て来やすいようです。
 それから、いわゆる『ごちそう』を食べ続けた場合、これも一つの偏りなんですね。図を見て下さればわかるが『ごちそう』はいわゆるこの実線ですね。まあ、ビタミンCが多くて繊維が少なく、蛋白質が多くてビタミンB1が少ない。脂肪が多くてビタミンB2が少ない……というような形のものがごちそう食には多い。ビタミンAは臓物を摂っていれば不足にはならないが、肉ばかり食べて野莱を食べないでいると、やはり不足がちになり易い。こういう人の場合、これと全く反対の点線の部分の食事をすれば、そりゃあもう一番早く治る。即ち、太い実線の円に近づく。劇的な効果を上げますよ。けれどもこの点線は、明らかに“栄養失調食”であることは間違いない。ところが、短期間に劇的な効果が出たからそれが理想食であるかのように思い込みやすいのですね。“栄養失調食”であるにも拘らず、自分は、これで助かったんだからって、いつまでもそういうやり方をしているのですね。そんなもの、極端に言えば、一ヵ月とか二ヵ月以上やってはいけないことが多いんですよ。ところが、ひどいのは二、三十年やってる人もいる。そして大変な不健康状態を招いていることが珍しくないのです」
 正しい判断力なく一つのことを金科玉条の如く守り続けている人たちに、そのあやまりに早く気付いてほしいという。自然は、種々雑多なものから出来ている。特殊なものに凝リ固まることの弊害は大きく、排他性を生めば、さらには犠牲者をも生み出す。
「不健康状態を招くのは、自分が悪いんですよ。人が悪いんじゃあなくて、自分が盲なんです。人のせいにしている限り幸せにはなリませんね」
 最後に日野先生は、セネカ(ローマ時代の奴隷であり哲学者であった)の言葉をひいた。「もし人が不幸であったとしたら、それはその人の責任である」と。
 病気であるということは、単に体が悪くなったというのではない。正しい人間観と、それに立脚した人生観、そして世界観に欠けているという、自然が教えてくれる赤信号であろう。巷間にはびこる多くの健康法、食養法等は、ある症状の人に、ある期間効果をあげる場合はあろう。しかし、それが、普遍的なものであるとする考えちがいは、あとを断たない。それを見破れるだけの目をわれわれは養いたいと思うのである。(聰)

平成24年7月23日 
文責 長岡由憲