食養内科

ヨーガと中村天風   印刷用【PDF】はこちら≫

 私は体が弱かったために、健康法のマニアになってしまいました。健康法の一つにヨーガがあります。私は学生の頃、阿含宗にはまっていたため、その関連で佐保田鶴治氏のヨーガを学習しました。その頃、沖正弘氏のヨガが有名でした。その後、原久子氏のヨーガも学習しました。
ヨーガの価値は計り知れないものがあります。私はあるところまで修行して止めてしまいました。お釈迦さまが修行して悟りを開いたのも、ヨーガが基礎になっています。
今日の話は中村天風氏です。中村天風氏については名前を知っているだけで、人生哲学の指導者というイメージを持っていました。
最近、ある本で中村天風氏がヨーガで助かったということを知り、俄然興味がわいてきたのです。それで本を買って読んでみました。中村天風氏は結核を患い、もう助かる方法は何もないという状況に置かれた時、偶然にもインドのヨーガ行者のカリアッパ氏に出会い助けられたのです。
命拾いをした中村天風氏は日本に帰って多くの日本人を指導しました。
この経過をもう少し詳しく話してみます。

中村天風氏は明治9年に東京で生まれました。父親は大蔵省で紙幣を作る仕事に携わっており官舎に住み、経済的には豊かでした。隣には印刷技師の英国人夫婦が住んでおり、子供の頃から英語が得意になりました。
学校へ行き始めてからは腕白で段々と乱暴になり母親の手に負えなくなり、小学校を終えると父親の郷里である福岡のある家に預けられました。その家から福岡県立尋常中学修猷館へ通うことになりました。4年生の時、暴力事件を起こし同級生を死亡させたため退学処分になりました。
その当時は日露戦争の時代で、行き場のなくなった中村はその家に出入りしていた軍人に連れられて中国へ渡ることになりました。中国では戦場で死と隣り合わせのような体験をしながら活躍しました。日本に帰って来て、戦争中の無理がたたったためか、結核になってしまいました。
その当時の結核は生きるか死ぬかと言う大変な病気です。
中村の治療はあの有名な北里柴三郎が当たっていました。中村のお兄さんは医者で開業していましたが、北里柴三郎は兄の師匠でした。北里は中村の往診に来た時、母親に出来るだけのことはしましたが、覚悟しておくように言いました。
中村は体力があったせいか命は長引いたのですが、死の恐怖にとりつかれ精神的に不安定な状態になってしまいました。そんな折にある友人が、米国の哲学者スエッド・マーデンが書いた「如何にして希望を達成すべきか」という本を持ってきてくれました。その本の内容に感動して中村は米国に行くことを決めました。家族の反対には耳をかさず米国へ行ってスエッド・マーデンに会ったのですが、マーデンは中村の質問に答えてくれず、本を読めば分かると言うだけでした。日本に帰る気も起らずコロンビア大学の医学部に何かを期待して入学しました。博士号も取りましたが役に立つことはありませんでした。
その後、ロンドンで精神活動の講演があることを知り聞きに行ったり、フランスに行って哲学者や心理学者に会ったのですが、いずれも期待はずれでした。そして胸の結核が悪化してきたので、日本に帰ることにしました。船旅ですから地中海からスエズ運河を抜けるコースでしたが、スエズ運河で座礁の事故があり、船が7日間アレキサンドリアに留まることになりました。その時船で知り合った人に、ピラミッドを見にゆこうと言われ、迷ったのですが行くことにしました。それで小型の蒸気船に乗り、ナイル河をさかのぼってカイロにつきました。カイロのホテルで休んでいた時に運命の出会いがあったのです。
ホテルの食堂で食事を前にしてボーっとしている時、中村がその人の目に止まったのです。その人に「こちらへ来ませんか」と言われ、中村はその人の席に座りました。
その人はこう言いました「あなたは右の胸に、大きな病を持っていますね」
中村はびっくりしました。どうして自分の病気がこの人にわかるのか。
「その病を持って日本に帰れば、あなたは自分の墓穴を掘りに行くことになるがな」
中村が一番気にしていることを、その人はズバッと言うのですが、中村はその人の話に納得し、その人について行くことに決めました。
その人はヨーガ哲学の大聖者カリアッパという人でした。
あくる日、中村はカリアッパ師の豪華なヨットに乗り込みました。このヨットはインドのある富豪がカリアッパ師のために提供してくれたもので、ロンドンからインドのカラチヘ帰る途中でした。
カラチからラクダを利用して陸路を歩き90日余りをかけて着いた所は、ダージリンの北、カンチェンジュンガの麓でした。その村はヨーガの里で住民はヨーガの修行をしていました。カリアッパ師はその村で一番偉い人です。
中村はこの村で2年7か月修行することになります。
中村は病気の不安と迷いの中で修業し、精神的に成長し、肉体も回復し、ヨーガの修行レベルでは高いクンバハカも会得しました。
「あなたは実によく修業した。私は多くの弟子を育ててきたが、こんなに早くクンバハカを悟り得た者は1人もいない。あとの修業は1人でもできる。あなたはここの国の人間ではないから、自分の国へ帰って幸せに暮らしなさい」とカリアッパ師に言われ、日本に帰ることになりました。
以上の内容は中村天風の弟子であるおいみつる氏の著書「ヨーガに生きる」春秋社刊   と「ヨーガの里に生きる」新人物往来社刊を参考にしました。


平成25年1月22日 食養内科勉強会資料