食養内科

ガンの発生と退縮 全体像を探る⑨   印刷用【PDF】はこちら≫

 

生態学的栄養学に基づく食生活
私は漢方を勉強するために、東京に出てきました。なぜ漢方に興味を持ったかというと、漢方はからだ全体を診る方法を持っているからです。病気を治すのに臓器だけを観ていると、治る方向性が見えてこないのです。からだ全体が観えた時、治る方向性が見えてくるのです。
私がガンの治療に取り組むようになったのは、日野厚先生がガンになったことがきっかけです。日野厚先生がガンになったということは、私にとっては大変困る状態になったのです。私は日野先生が作った食養生を指導する立場にあったからです。
日野先生がガンになった時、どうしてガンになったのか理解に苦しみました。こんなに良い食事をしていたのに、どうしてガンになったのか。人はみんないつか死ぬのだから、死ぬのは仕方ないけれど、ガンで死ぬのは納得でききませんでした。
私は日野厚先生が脳卒中で倒れるのではないかと思っていました。食養内科のグループが松井病院に来た頃、日野先生がふらふらっとして倒れたことがあるからです。日野先生は体が弱い方でしたし、毎日遅くまで仕事をする人でしたから、私は勝手にそう考えていました。
日野先生は腎臓ガンの手術をして、その後は急速に体力が落ちて行きました。手術をする前は、普通に仕事をしていました。しかし、腎臓ガンが徐々に大きくなっていったので日野先生は手術を決断したのです。
日野先生の入院中は、私も大変でした。ガンの入院患者も何人か居ましたので、その人たちの治療を考えていると、結論に到達するまでに時間がかかり、私の方がふらふらになって体調を崩し3日間入院しました。
私が今村光一さんの持ってきたゲルソン療法に飛びついたのはそのような状況があったからです。
ガンに対して納得できる理論がないと、私はまともに食事療法を指導することができないからです。
私は日野先生がガンになった原因をいろいろ考えてみました。日野先生は長い間、塩の少ない食事をしておられましたが、若い頃はマクロビオティックに熱中していた頃があり、その時は猛烈に塩の多い食事をしておられました。汁の中に味噌がある味噌汁ではなく、味噌の中に汁があるような味噌汁を飲んでいたと本に書いておられます。
その頃の塩味が悪かったのか、あるいは油の料理が多かったのかを考えました。私は毎日、日野先生と一緒に弁当を食べていましたから、日野先生の弁当を見て食べていました。いつもあるメニューはりんごをウサギの姿に切ったもの、ゴマだんご、それに一品油で上げたものがありました。はじめにウサギに切ったりんごの耳の部分を取り除いてりんご食べていました。ゴマだんごは炒(い)りゴマをミキサーにかけて練りゴマにし、それを大きな飴玉くらいの大きさに丸めたものです。
しかしこのような食事でガンになるとは思えず、別のことも考えました。子供の頃から体が弱く、いつ死ぬか分からないような体だったのだから69歳まで生きたのは食事療法が良かったからだと、自分を納得するように考えていました。
私が安保徹先生を知ったのは「免疫革命」との出会いです。この本は食養内科に勤めていた児玉陽子さんから良い本だからと薦められました。
はじめに読んだ時はそれほどの感動はありませんでした。理論が単純でした。何でもかんでも顆粒球とリンパ球で説明してあったので、こんな単純な理論で病気が治るとは思えなかったのです。「免疫革命」にガンの事も書いてあったので、次に買った本が安保徹先生の「ガンは自分で治せる」と福田稔先生の「ガンはここまで治せる」です。
この2冊を読んで福田―安保理論の発ガンのメカニズムが理解できたため、その時始めて、日野先生がどうしてガンになったかを理解することができました。日野先生がガンになった一番の原因は、食事の問題ではなく、生き方の問題でした。日野先生は休まない人でした。1分1秒を惜しんで仕事をする人でした。休むことは人生を無駄にするように考えておられました。睡眠時間も必要最小限だったと思います。
この生活は交感神経優位の生活です。この状態が続けば顆粒球が増え、リンパ球が減少してガンは発生しやすい体になります。
福田―安保理論を知って、私がずっと抱えていた日野の提唱する生態学的栄養学に対する疑問が解決しました。

「いずみの会」の中山会長は、生態学的栄養学に基づく食生活(日野式食養生)がガン患者の体質改善に役立つことを実感し、食生活に問題がある会員に対して松井病院食養内科に入院することを勧めています。

平成22年10月26日 食養内科勉強会資料