食養内科

石塚左玄の「食物養生法」を読む ② 印刷用【PDF】はこちら>>

   第2章 穀類及びその他食品の化学的性質論 その1(現代語訳)
附 米穀は本来精白すべきではないと言う説
 「食が常なれば身もまた常にして心に常あり、食が異なれば身もまた異になり心も異になる」、とは私が断言する所であって、人類は穀食動物という食養の本分を忘れ去るべきではない。
 
 美食を好む情況
そうは言っても古今東西の一般人はみんな美味しい物を好むもので、論語に「飯は精を厭わず」「醬を得なければ食わず」と書いてあるように、食物殊に穀類以外の食品は見た目がきれいで、多くの人は甘みと塩気がある食品を好むもので、その状況はアリが甘い物に集まり、ハエが臭い物に集まるのに似ている所があり、もっと言えば最近の立食パーティにおいては、中流以上の人が多いにも拘らず、ご飯やパン以外の副食をむさぼり食う様子は、まるでブタのごとく、犬のごとく、カラスのごとく、アヒルのごとくで、その肉体と精神が病的粗雑に出来上がる上に、雑食する民族の医学と衛生に頼るため、我が国が昔から行っていた食療治 病の道は大いに乱れ、一定の制限もなく、まるで飢饉の年のように海や陸で採れた動植物食品を限りなく集め、欲望を満たすための食品を食べたいだけ食べ、舌先三寸の喜びと見栄を大事にし、ただ眼と口が喜ぶことを第一に考え、体と心の養いは第二にしているようであり、縦利主義より横利主義の方が比較的発達している現代においてはこの勢いは止まることはなく、益々その傾向を高め、停止することは考えられない状態である。
 
 釈迦、孟子、孔子の食戒言
このような状態であるから、釈尊は穀物野菜は浄物で食べてよい物とし、肉類は不浄物で食べてはいけない物という戒法を説いておられ、孟子も「飲食の人は即ち人これを賤しむ」と罵倒し、孔子も「士道に志して悪衣悪食を恥ずる者は未だともに議するに足らず」と訓戒し、又「人として飲食せずと云うこと無けれども、その味を知る者少なし」と嘆くけれども、それなりに意味深い道理と証拠があるので、我々は化学的にその戒法、その罵倒、その意味を研究しなければならない。

 米飯食者は木炭のごとく、雑穀食者は石炭のごとし
 我が国の主食は大半が米と麦の二種であるが、最近は大いに変化して都会市町の中流以上の者は、白米飯、食パンを食べて、麦、粟、小豆を嫌う傾向がある。その結果、肉体は比較的背が高く体は細く、顔は小さく脚は長く、病気を持った半健康状態で、浅はかで行動が軽々しい、頭は働くが度胸がない、我慢する気持ちはあっても、長時間の根気と体力は非常に少ない。
 これとは反対に山野に住む人はわずかに米を雑ぜた麦、粟、稗、トウモロコシのような雑穀を常用するので、比較的体格が大きく、顔が大きく髭が多く、優柔不断で無病健康に成長し、気転は利かないけれど、根気と体力が強いことは人々が良く知っている所である。
 化学的にこれを論ずれば、前者の食物には弾力を付け、硬くする成分の塩類が不足で、カリ塩よりナトロン塩の量は比較的少ないけれど、後者の食物には胆力を強くする塩類の硬くする成分が多くあり、カリ塩よりナトロン塩の量もまた多いことに基づくのである。
 これはちょうど、同量の木炭と石炭とに似ていて、その塩類すなわち灰分が少ない木炭は、石炭より着火し易いけれど、燃焼力は弱く、その火力も弱く、塩類が多い石炭は木炭に比べて着火しにくいけれど、その燃焼力は多くて火力が強いのと同じである。
 それで肉体と精神とを養成する食物の穀物野菜の皮と動物の骨に関係する塩類を多く食べる山野人と、皮と塩類を少なく食べる都会人と、この両者の仕事ぶりを見れば、すでに明らかになっている化学的食養の理法があることを知るであろう。
 今我が国の歴史を考えると、中世以前に遡るに従い、武士以上の人はもっぱら米を食べたことと、多くの人は米だけを食べることが少ないことは、ちょうど近世と反対で仁明帝の頃は米代をたまわり、円融帝の時には老人に米をたまわったように、多くは陰性の大麦あるいは粟、もしくは稗などを米に雑ぜて日常的に食べた。
 陰々の陽である小麦は英米両国のように白パンにして毎日食べたのではなく、うどん、そうめん、あるいは饅頭の類にして、これに塩気を加えて一時の間食、あるいはやむを得ない場合において、常食の代用に充てた風習があった。

   かくまでに身の温まる草の実を
      ひえの粥とは誰かいうらん・・・順徳帝御製
   世の中に米の少しも持ちたきは
      飢えたる人と修行者のため・・・・・時頼

 わが国では米を正穀とし、小麦を雑穀とみなしているが、その小麦で作った食パンを、最近は君子国の気概を持たない、商売国の雑食人と同様に、毎日食べていると、その気風は女々しくなって、君子の男らしい威光人望と性格は、パン食する量に応じて少なくなっていく。
 ましてわが国産の小麦よりも硬化成分すなわちナトロン塩が少ない、輸入したメリケン粉の食パンを食べ、しかもこれに調味料として、ややもすればバターの代わりにカリ塩が多いいジャム付けて食べる、身の程知らずの学生がいるのは嘆かわしい。



 原文 第2章の初めの部分
 食常(つね)ナレバ則チ身モ亦(また)常ニシテ常ノ心有リ、食異(こと)ナレバ身モ亦(また)異ナッテ異ナル心ヲ生ズ、とは余(よ)の断(だん)言(げん)する所にして、即(すなわ)ち人類は穀(こく)食(しょく)動物たる、食養の本(ほん)分(ぶん)を没却(ぼつきゃく)すべきものにあらざるなり。然(しか)りといへども古(こ)今(こん)東西の一般人民(じんみん)は、皆(みな)美(び)観(かん)美(び)味(み)の食物を好むものにして、論語に「飯ハ精ヲ厭(いと)ワズ」「醬ヲ得ナケレバ食ワズ」と載(の)するが如く、凡(およ)そ食物殊(こと)に穀類以外の品(ひん)類(るい)は、美観にして多くは各人に適(てき)合(ごう)する所の、甘(あま)味(み)と塩(しお)気(け)とある品(ひん)類(るい)を食(しょく)するを好むものにして、その情況たるや蟻(あり)の甘きに就(つ)き、蝿(はえ)の臭(くさ)きに集ると相(あひ)似(に)たる所あり、尚(なお)且(かつ)動(や)もすれば近年の立(りっ)食(しょく)会に於けるが如く、中(ちう)流(りう)以上の公(こう)民(みん)多数なるにも拘(かか)わらず、飯、麺麭(ぱん)以外の雑(ざつ)物(ぶつ)邪(じゃ)味(み)を貪食(どんしょく)すること、恰(あたか)も豚(ぶた)の如(ごと)く、犬の如(ごと)く、烏(からす)の如(ごと)く、鶩(あひる)の如(ごと)くにして、其(その)身体(しんたい)と其(その)精神(せいしん)とを邪(じゃ)雑(ざつ)粗(そ)笨(ほん)に養(やう)成(せい)するのみならず、雑(ざっ)食(しょく)人(じん)種(しゅ)の医学と衛生とに依(い)頼(らい)するを以(もっ)て、我(わが)國(くに)古来の食(しょく)療(れう)治(ち)病(びょう)の道(みち)大いに乱れ、一定の制限を有(ゆう)することなく、恰(あたか)も飢(き)饉(きん)年(どし)の如(ごと)く海陸産の動植物を漫(まん)擇(たく)して、我意(がい)を充(み)たす所の雑食を恣(ほしいまま)にし、専(もっぱ)ら舌(した)三寸(ずん)の快(かい)楽(らく)と見栄(みえ)とを買い、只(ただ)眼と口との養(やしな)ひを第一とし、体(からだ)と心(こころ)の養(やしな)ひを第二に置くが如(ごと)く、縦(じゅう)利(り)主義より横(おう)利(り)主義の方、比較的発(はっ)達(たつ)せる現代に於いては、勢(いきほ)い止(やむ)を得(え)ず益(ます)々(ます)其(その)度(ど)を高めつつありて、殆(ほとん)ど停(てい)止する所(ところ)を知らざる有(あり)様(さま)なり。

 
    平成26年2月25日 食養内科勉強会資料 文責 長岡由憲