食養内科

     72 安保・福田物語(1)    <<印刷はこちらから
 第一章 福田稔
 天気の良い日は呼び出される
平成3年秋、新潟の空は晴れていた。
県立病院に勤めている外科医の福田稔は、朝ゴルフクラブの手入れをしていた。
「今日は天気が良いからゴルフへ行こう。」
天気は良かった。ゴルフ日和と言ってもいいような晴天の日であった。
近くのゴルフ場に出かけて、ゴルフを楽しんでいた福田に携帯電話が入ってきた。
「先生、アッペの急患が入りました。」
福田は疑問を持ち始めていた。「なんで、天気の良い日に、私は呼ばれなければならないのか。」
初めは偶然だと思っていたが、天気の良い日にゴルフをしていると、病院から電話が入り、手術に呼び出されることが多い。
「これは、きっと天気と病気の発生に関係があるに違いない。」
福田の気持ちは段々とその方向へ向かっていた。
「天気の良い日にアッペの患者がやってくる。」このような関係があるのだろうか。
「天気の悪い日に悪化する病気は聞いたことがある。関節リウマチや気管支喘息は雨や曇りの日に悪くなる。しかし、天気の良い日に、病気が出る話は聞いたことがない。しかし、現実には、天気の良い日に限って、電話で呼び出されることが多い。」
「これはきっと関係がある。」福田の頭の中は、疑問が段々と確信になっていった。
アッペというのは虫垂炎である。虫垂炎というのは昔、「盲腸炎」と言っていた。虫垂炎は右の下腹が痛くなる病気で、すぐ手術をしなければならないというのが医学常識である。
福田は、外科医でしたから、アッペの患者が来ると、緊急で呼び出された。
「この現象は何か重大なことかもしれない。病気の原因について新しい発見があるかもしれない。又、それは人々の役にたつかもしれない。」福田の頭の中にそのような気持ちはムラムラと湧いてきた。

福田が医者になったのは世の中の役に立ちたいとの思いがあったのです。病気を治すためには外科が一番だと思った。だから外科医になり病気と正面からぶつかっていった。しかし現実はむなしいものがあった。
ガン患者に対して完璧な手術をしても再発するのです。医者になって外科医として人助けをしているつもりが、納得のいく仕事が出来ていませんでした。
でも外科医の考え方はみな同じです。手術をしても再発する人が多いのだが、その原因は分かっていない。運がいいか運が悪いかそのように考えているだけでした。
「天気の良い日はアッペが多い。」これは何か意味があると考えた福田は気圧とアッペの関係を調べ始めました。
 天気とは気圧ではないかと考えたのです。
 福田は平成4年2月に気圧計を買って調査を始めました。1年間で57例の虫垂炎と気圧の関係が出ました。
 虫垂炎も軽いのから重傷まで病気の程度があります。虫垂炎の程度を三つに分けると、軽いのは炎症が虫垂の中に収まっている物。ひどいと炎症が腹膜まで広がっているのです。それで3段階に分けて、重症度によってどの位の気圧の時に発生しているかを調べ、その平均を出すと、気圧が高い程、症状も激しいことが分かりました。
軽症は1010.5hPa、中等症は1013hPa、重症は1019hPaでした。

軽症(カタール性虫垂炎)1010.5hPa
中程度(蜂窩織炎性虫垂炎)1013hPa
重症(壊疽性虫垂炎)1019hPa

 次の年は、病院の前庭に百葉箱を設置し、本格的に調べることにしました。それで2年間で集まった症例が112例になったので、それを又3段階に分けて平均値を出しました。
 その結果、軽症は1011hPa、中等症は1013hPa、重症は1019hPaとなり、ほぼ同じような結果になりました。
軽症(カタール性虫垂炎)1011hPa
中程度(蜂窩織炎性虫垂炎)1013hPa
重症(壊疽性虫垂炎)1019hPa

 これは確かに、気圧と病気の発生は関連がある。これはすごいことだと自分で感動しました。
 福田はこの研究をまとめて外科医の学会で発表しました。
 しかし反応が殆どありません。この発表を聞いても感動する人がいないのです。
 聞く人は、「なんでそんな研究しているのか。それが何の意味があるのか。」そういう感じなのです。
 福田は又、これに驚きました。「こんなすごいことが分かったのに、どうして聞いた人は感動しないのか。」福田はがっかりしてしまいました。
 それでも誰か共感してくれる人がいるだろうと思い、別の学会でも発表しましたが、思った程の評価は得られず、又むなしさに落ち込んでしまいました。

福田稔のおいたち
 福田稔は1939年に、福島県のいわき市で生まれました。兄弟は年の離れた兄と姉がいて弟もいた。家は農家で農耕馬が数頭いた。
 稔はいたずら坊主で両親からよく叱られていた。稔が一番信頼していたのはおばあちゃんだった。おばちゃんはシャーマンで近所の人の悩み事を聞いて相談に乗っていた。シャーマンというのは霊能者で、普通の人には分からないような事が直感(又は霊感)で分かるのです。
 このおばあちゃんは稔が生まれた時、両親にこう言ったのです。
「この子は、世のため人のためになるすごい運勢を背負っている」と。
 稔は大きくなって、北海道の大地に憧れて、北海道大学工学部を受験しましたが、2回とも合格せず、自分の進路に迷っていました。
「工学部は無理のようだ。そうだ医学部だ。」
 稔はおばあちゃんの言葉を思い出したのです。「そうだ、人のためになるのは医学部だ」
 そう思った稔は新潟大学の医学部を受験しました。そうしたら、皆の予想を裏切って合格してしまいました。

 虫垂炎の発病と気圧は確かに関係がある。症例数を増やして確かめていくとますますはっきりしてきた。しかしこの結果を評価してくれる人がいない。
 自分は価値がある内容だと思っているのだがそれを評価してくれる人がいない。
「どうしてみんな感動しないのだろうか。」
 福田は新潟大学の研究室を訪ねることにしました。解剖学の藤田恒夫先生を訪ねた。藤田先生は自分が主宰している医学雑誌「ミクロスコピア」への投稿を勧めてくれた。それでその雑誌に投稿した。
「ミクロスコピア」は、医学の研究に関する記事よりは動物や山、絵やグルメの話の方が多い、科学雑誌か文芸雑誌かわからない不思議な雑誌です。
 福田の論文は「虫垂炎と気圧の関係」。偶然ではあったが、その号に、安保徹の論文も載っていた。題名は「リンパ球進化の道筋」。
 福田はその論文を読んで安保徹を知った。
 その頃、知り合いの外科医に自分の研究の話をしていると、外科医は安保徹先生がいいと紹介してくれた。
 福田は安保徹に会うことを決意した。
 平成6年12月16日、福田は新潟大学大学院医師歯学総合研究科教授、安保徹の研究室を訪ねた。

 第二章 安保徹
安保徹のおいたち
 安保徹は昭和22年10月9日に青森県東津軽郡三厩(みんまや)村で生まれた。三厩村は津軽半島の最北に位置する村で、北端が竜飛岬である。年中強い風が吹き荒れていて、徹が子供頃は停電が多く各家庭にランプがあった。この村の地下をJR津軽海峡線が通っている。
 小学生の徹は勉強熱心だったので、学業成績は良かった。それで中学は地元の学校をやめて、青森市の学校を選んだ。中学、高校は青森市で学校に通った。
 母親は病気がちで神経質な性格の人であったが、父親はさっぱりした気質の人であった。
 中学、高校の頃は鼻づまりに悩まされることになる。時々薬を使ったが、一時的に鼻づまりは治るものの、すぐまたつまり出す。あまり頻回に薬を使うと、鼻の粘膜が乾燥して痛くなった。
 又、自分も神経質な所があり、中学、高校時代は味噌汁に虫や髪の毛が入っていると飲むことが出来なかった。
 大学は東北大学医学部に入学したので、仙台に移り住んだ。
 教養部時代の2年間は囲碁と将棋に凝っていた。その後も囲碁と将棋が趣味になった。
 医学部で安保は、自分の運命を変えるような斉藤章先生の講義を聞くことになる。
 大学を卒業して医者になった安保は青森の病院で内科の研修医として働いた。安保の入った部門はガンとリウマチを中心に診療していた。
 研修医の時の2年間で15人の肺ガン患者の治療に当たったが、2年の間に15人全員が亡くなってしまった。
 抗ガン剤で治療すると、ガンは小さくなって退院していくのであるが、半年か1年で再発し、病院に戻ってくる。再発した人は体も弱っていて治療もできなくなり亡くなっていった。
 もう一つ困ったことは、患者を診ていると、自分も一緒に具合が悪くなることであった。

内科医としての挫折
 希望に燃えて臨床医となったのであるが、医者としての希望が見いだせなくなった。ガンもリウマチも治す治療法がない。治るという理論もない。
 同僚の医者がどうしているかと見ると、治すことを諦めて対症療法やっている。治るとか治らないとかではなく、対症療法が医療であると思って治療している。
 教科書にはこう書いてある。「原因不明、根本治療なし、対症療法を行う。」
 同僚の医者は教科書通りの治療をしているのであるから、そこに疑問はない。
 しかし徹は疑問を持っていた。対症療法をして良いのだろうか。病気になったのは必ず原因があるはずだ。原因があるから病気になったのであるから、原因をそのままにして、症状を無くすことだけして本当に良いのだろうか。
 現実には病人は症状で苦しんでいる。症状を取れば楽になるから、患者は喜ぶし、治療してもらって感謝するだろう。しかし、原因にふたをして、症状の治療だけしていると、別の病気が出てこないだろうか。
 安保は中学・高校の時、鼻づまりで耳鼻科に通ったことがあり、対症療法の意味は概略理解していた。
「私は病気を治すために医者になった。対症療法をするために医者になったのではない。」
徹は悩んだ。
「このまま内科医を続けたとしても希望はない。どうしたらよいのだろうか。病気を治すために医者になったのに、病気を治す理論がない。発病の原因が分からないから、病気を根本的に治す方法がない。発病の原理を追求しなければ病気は治せない。病気を治すためには発病の研究をする必要がある。」
 安保徹は大学時代に学んだ斉藤章先生のことを思い出していた。斉藤先生が研究した「生物学的二進法」はすばらしい発見であった。人体は病原菌に対してすばらしい防御機能を持っている。大きな病原菌と小さな病原菌には別々の方法でもって対処している。これは、すべての大きさの病原菌に対して対処する方法を持っているということになる。
 この理論を発展させ、もっと詳しく人体の免疫機能を見ていけば、病気の原因が解明できるかもしれない。
徹は決意した。
 「私は臨床医をやめて、医学研究をしよう。病気を治すために私が進む道は病気の基礎研究だ。研究者になって大発見をしよう。」
 徹は東北大学歯学部の微生物の研究者である熊谷勝男教授に弟子入りし免疫学の研究を始めました。
 1979年に米国アラバマ大学に留学し、1984年に帰国しました。
 新潟大学に赴任したのは、1991年です。

 恩師 斉藤章先生
 安保徹が医学の基礎研究に入った動機の源流は、東北大学で学んでいた時に教えを受けた。斉藤章先生にある。
 安保徹の研究を語るには、斉藤章から話を起こしていかなければならない。
 斉藤章は東北大学の講師で感染症を専門に研究していた。斉藤の疑問は細菌感染症の時、白血球数が増えて、ウイルス感染症の時には白血球の数が減るということであった。
 単純な疑問であるが、医学を学ぶ人は誰しも思う疑問である。ウイルス感染にしても、病原微生物の感染なのだから白血球が増えてもいいじゃないかと考える。しかし、ウイルス感染の時は白血球数が減少するから、これに疑問を感じた斉藤はそのメカニズムを研究した。
 そして研究の結果分かったことは白血球にも種類があって、細菌をやっつけている白血球とウイルスをやっつけている白血球は違っていることだった。
 白血球は顆粒球とリンパ球に大きく分けられる。細菌を攻撃して処理しているのは顆粒球で、ウイルスを攻撃して処理するのはリンパ球で、それぞれ役割分担があったのだ。
 これは斉藤章の発見した新しい理論であった。斉藤は自分の発見した理論に感動していた。
 次に分かったことは、顆粒球が細菌を処理する時は膿を出す炎症が起こり、リンパ球がウイルスを攻撃して処理する時は、浸出液が出る炎症が起こると言うことです。
 斉藤は、自分の研究成果を「東北医学雑誌」に発表していった。
 斉藤は新しい発見が次々と起こるのでうれしくて仕方がなかった。
 斉藤の気持ちは燃えていた。病気のメカニズムの根本的な所がつかめるのではないかという期待があった。
 それでもっと分かったことは、顆粒球が細菌を処理する時は脈が速くなり、リンパ球がウイルスを処理する時は脈が遅いと言うことである。これは顆粒球が仕事をしている時は交感神経が優位になり、リンパ球が仕事をしている時は副交感神経が優位になっていることを意味する。
 どうしてこのようになるのか。疑問は深まっていったが、白血球は2本立てで細菌やウイルスのような病原微生物に対処していることがわかった。斉藤はこれを「生物学的二進法」と名付けた。
 ただ問題は自分発見したことを評価してくれる人がいないことであった。こんなすごい事を発見したのに、なぜか感動する人が少ない。
 感動する人は一部で、殆どの人は聞いてくれない。自分が発見したことを話したくてしかたがなかった。近所の大工さんをつかまえて、法則の素晴らしさを語り、論文の別冊を渡したこともありました。
 結局、斉藤章の作った理論は、評価されることがなく、斉藤は失意の中で亡くなった。生まれてくるのが百年早かったと嘆いていた。

白血球と病原体の大きさを見る
 白血球と細菌とウイルスの大きさを比較するために1万倍に拡大した図を作りましたのでご覧ください。白血球の役割分担を理解する上で役に立つと思います。
 初めに白血球の大きさから言うと、顆粒球が12~15μm(マイクロメータ―)、リンパ球が6~15μm、マクロファージ(単球)が20~30μmです。図は顆粒球を13μm、リンパ球を11μm、マクロファージを25μmにして描きました。
 次に細菌の大きさは1~5μmのレベルです。代表として、結核菌(長径が2~4μm)、大腸菌(長径が1~3μm)、ブドウ球菌(直径が0.9μm)の3種を取り上げて、結核菌は長径が3μm、大腸菌は長径が2μmで図を描きました。
 ウイルスの大きさは20~500nm(ナノメーター)位です。代表としてヘルペスウイルスが100nm、麻疹ウイルス250nmを取り上げました。
 1万倍にすると、100nmが1mmになります。小さいのは20nmなので0.2mmになり、この図では描けません。

        
 斉藤章は自分が発見したことを次々と東北大学医学部の「東北医学雑誌」に発表していった。斉藤にとっては感動の連続であった。人体の発病原因、そして人体は病原菌に対してどのように対処しているのか。そのメカニズムの一部が見えてきたのである。
 最初に驚いたことは病原菌に対する方法として白血球の役割分担があったことである。もともと考えていたことは、アメーバが餌を食べるように、病原菌が入ってきたらこれを白血球が食べているものだと考えていた。
 しかし細菌のような大きな異物はこの方法で処理できるけれど、ウイルスやアレルギー抗原となる異種タンパクのように小さい物は小さすぎて食べるのが難しく、抗体と呼ばれるタンパク質をくっつけて無毒化するという方法を作っていた。
 小さい異物を処理しているのがリンパ球であった。
 このような分担作業をしているために、細菌感染の時は白血球が増え、ウイルス感染の時は白血球が減るという現象が起こっているのである。
 しかし、まだ疑問は残ると思う。ウイルス感染に対してリンパ球が対処しているのなら、リンパ球が増えて白血球が増えるのではないかと考えられる。
 この疑問を解くためには、白血球の割合と白血球の寿命を考えなければならない。白血球の割合は、平均的には、顆粒球が60%、リンパ球が35%である。白血球の寿命は顆粒球が2日、リンパ球が1週間位である。
 細菌感染であれば顆粒球がどんどん作られ、仕事を終えた顆粒球はどんどん死んでいくことになる。この場合は白血球数が増加する。
 ウイルス感染の場合はリンパ球が増えることになるが、リンパ球は寿命が長いので、それほど多く作らなくても良い。又、リンパ球は白血球の中での割合も少ない。
 そして顆粒球は仕事がないのであまり生産されない。又、寿命が短いのでどんどん死んでいくと、顆粒球数が少なくなることになる。従って、ウイルス感染においては白血球数が減少するという現象が起こるのである。
平成26年7月22日
著作 長岡由憲