食養内科

13 石塚左玄の「食物養生法」現代語訳 ①  <<印刷用PDFはこちら

石塚左玄著 食物養生法(復刻版)1974年 日本CI発行
第一章 人類は穀食動物である(その1)5~20頁
 およそ人類を始めとしすべての動物の食養は、おのおの自然に適応しているもので、春は春の食物を取り、夏は夏の食物を食べ、秋は秋、冬は冬と、その季節に順応する食事をするべきであるように、私の化学的食養の道にもおのずから一定の基準があって、これに適する食物を摂取するべきである。

 人類及び動物の歯牙の形状

 思うに、ライオン、トラ、犬、猫のように肉食動物の歯はのこぎり歯で先端が鋭く、下顎が横斜に動かず、堅くてしわい骨や肉をかみ砕くに適しており、野菜穀物を食べるのは不適当である。
 草食動物の牛、馬、羊などは歯が平歯で間が無く、ひっついてその面は平坦で波のような模様があり、下顎は横斜に良く動くため、野菜をかみ砕くのに適しているが、ネズミやイタチなどの動物を食べることは出来ない。
 人類の歯はいわゆる臼歯でひっついて並び、下顎はわずかに前後左右に動く。歯の面は辺縁が高く中央がくぼみ、まるで臼の形で、僅かに高低がある菊座形で、上下の歯が合わされば自然に大小不同の楕円形の隙間ができ、穀類の粒を噛みこなすのに適した天然自然の形であると言わざるを得ない。
 易に書いてある「頤(あご)が貞(ただ)しいのは吉、養が正しいのは吉」は真の言葉である。言うまでもなく、人類の顎は他の動物には絶えて無くなった一種独特の形と機能を持っているのだから。
 以上のことにより人類はどんなものを食べるべき動物か。私の判断はこうである。
 人類は歯と顎の形と働きにより、生まれながら穀類を食べるべき、すなわち穀食動物である。

   臼歯持つ人は粒食う動物よ
           肉や野菜は心して食え
   顎の上の口を養う食物は
           穀より外によき物はなし
   顎台に載せていただく菩薩かな

 食物の選択は歯牙の形状による

 ゆえに人類および他の動物に適切な食物を論ずれば、必ずまず食養の関門である歯と顎の形、ならびに下顎の運動の状態を考えて食物の種類を選び、その化学的成分と配合量は、人類及び他の動物が分泌する乳汁を参考にし、それで食育食養の行うべき道は国土の地形、天候、人種、海多陸少と海少陸多の差、そして日本の位置、暑多寒少と暑短寒長との気候の違い、山地か平野かの別、そして幼いか老人か、男か女か、健康か病弱か、そして年齢、人種に適応するものを考えなければならないのである。

 人類の穀食は万代不易である

 人類の歯と顎に適合する食物は、穀類が最良最高であると言わざるを得ない。穀類は口の中に入り臼歯がこれを粉砕して唾液と混ぜて飲み込むのであるが、口の中で幾分か化学的変化、すなわち消化作用を受け、次に胃腸に送り込まれ、さらに化学的変化を受け、消化吸収されるのである。
 穀物の成分は有機と無機の両方があって、その配合量も適切で、栄養の材料としても適切であるため、古今東西いずれの国においても、穀類を何千年もの間、変化することのない大切な主食にしたのである。
 すなわち国土の位置と気候に従って、生産する穀類一種で、十分に人体を食育食養出来ることは明らかな事実で、無病健康で長寿をもたらす成分が適切に配合されていることも明らかである。

 穀類の代用及びその代償の食物

 しかしながら人類は国土気候に適さない穀物(たとえば、米を食べる人がパンを食べる人になった場合、あるいは加工して天然の成分が欠損した穀類を食べる場合、すなわち玄米を食べるべきなのに精白米を食べる人の場合、もしくは穀類が乏しいため、その不足分を代用品のイモ類、乳類、魚類、肉類等)を食べると、おのずからその含む所の緒成分と配合量とに、増減多少の差異を来すので、これを補給するためにカリ塩が多い豆類、野菜果物のような物、又は塩辛く調理加工した植物性食品を選び、或いはナトリウム塩が多い魚鳥・獣肉・卵のような物、又塩を少なく調理した動物性食品を取って、適度に副食しなければならない。
 これをまとめると寒地冷地において植物性食品を多く食べる時は、比較的食塩と食油を多く加えるが、暖地暑時において動物性食品を多く食べる時は、食塩と食油を比較的少なくするのが常習である。
このような雑食をしていても、その食品が含むカリ塩、ナトリウム塩の釣り合いが取れていれば、無病健康を保つけれども、それぞれの国土は地位地形が異なり、気候の寒暑湿寒が同じでは無い。このために食べた物によってでき上がる身体は背丈、肥り方、寿命の長さが異なるのはもちろん、毛髪の多少、肌の色、声の質の違いがあるだけでなく、体力の強さ、気力の違い、智恵才能も異なるようになる。

肉食の盛衰増減及びその戒言

 しかし最近の通説によると根拠がないのに、人々は肉類と野菜の両方を食べて栄養を摂らなければならないと言うが、これは天から与えられた自然の法則から外れていると言わざるを得ない。
 美食と言うものは味が薄い野菜食ではなくて、味が濃い肉食であるように、肉類は野菜食より美味しい塩気と甘みと香味を持っており、古今東西において聖人はこれを謹んでいるが、常人の多くはこの味のために肉類を貪り食いたいと言う欲望にかられている。
 釈尊はすでに肉類の毒性を知って、食事に戒律を設けただけでなく、病気の時に薬として使う以外は肉食を禁じ、孔子は「肉が多いと言っても、食気に勝たしめず」と戒め、又「婦人は妊娠したら邪味を食べない」と戒める胎教を書き残した。
 又、我が国のことわざにも「人は小さく産んで大きく育てよ」とか、「難産の子は育ちがたし」とか、「産毛の濃いのは世話が焼ける」と言う胎教の戒めがあるのは、動物性食品の過剰な人が子供を産むと、蔬食者の赤ん坊より体型が犬か猫の子のように比較的肥大になり、一見強そうに見えるけれども、化学的に観ると肉食が勝る、脂肪肥りか、もしくは塩気の少ない水肥とりで、顔は短く鼻は低く、多くは俗に「いわゆるせせこましい」とか、又はうっとりで鈍いかである。
 この両者の赤ん坊はどちらかと言うと、胴大肢小で成長し、その年齢に比べると、脂肪肥りは機転が利き才気が強く、出すぎ出しゃばる所があるが、水肥りは才気が鈍感でうつっぽく引っ込みがちになって、児童になっても痩せて体は弱く、あるいは頭小脚大の体格となって、万物の長である人間として適する真の体格品位を備えることが出来ないことになる。

肉食が多く必要ない我が国の地勢

 我が国の人は、中古の昔とは反対で、今の人が考えているような肉食が必要ではない化学的理由は、我が国の国土はナトリウム塩に富むことが多いからである。
 詳しく言うと、天気が温和な国土に住む我々は、ヨーロッパ大陸の涼冷な地方に住み、米飯を食べず、漁業をしていない人々とは違って、カリ塩が少なくて、ナトリウム塩が多い自然の地形であるから、肉類を食べなくても、無病健康の妨げにはならず、むしろ食べない方が無病健康の道に適合すると言わざるをえない。
 言うまでもなく、東洋の温暖な国と、欧州の涼冷な国では、化学的にも、現物的にも常用する食物の種類は違うのであるから、食べ方も異ならざるを得ないのである。

  島国の魚と塩とに富む土地は
           山や畑に生えるもの食え
  大陸の麦と芋とに育つ人
           つとめて食らえ肉や卵を

太田錦城氏の漫筆
 附言、大田錦城氏の梧窓漫筆に「我が国は四面、海に面し魚類の摂取がきわめて多い、ゆえに人は獣肉を食べるのを好まず、四足動物を食べると体がけがれると言って国家の法令(牛馬鶏猿犬の家畜を食べることを禁止した詔勅の類)にもある。
 世の人もこのように自覚して、獣肉を忌み嫌っている。これも仏法仁柔の余効である。
 しかしながら、香川修徳という者が、日本人は獣肉を食べないから虚弱になると言っておどした為、最近は山国の人だけでなく、海辺の魚肉が多い所の人までみんな好んで肉を食うことになってしまった。
 今では江戸でも、冬に獣肉の店がおびただしい。それで皮膚病に罹り、中風のような病気になる者も少なくない。本当に虚弱な人が牛肉鹿肉を寒い時期に少し食べるのは保養の効果があるが、熊肉猪肉は毒があり毒の程度もひどい」とある。

 大田錦城氏は、寛政から文化文政時期の儒学者で、その著書にこのような日本国人には肉食の害があると説いているが、明治になり年を経るに従って、比較的に正食の米飯が少なくなり、うま味の多い肉食が盛んになり、塩気の少ない野菜を少なく食べるだけでなく、飯後の漬物は食後の果物になって、明治三十年頃から年を追って、このような風潮が良いことであるようになり、そのため人体は「薄塩の味噌を貯蔵する」がごとく、俗にいう「沢庵の川流れ」のごとく、又夏季の「魚肉の薄味噌」のごとく、軟弱になって腐りやすい、弾力の無くなった性質に変化するのと同じで、我々の肉体においてもこの状態になり、害毒を受けて、ついには肺結核のごとき、腸結核のごとき、あるいは糖尿病のごとき、脚気のごとき、瘰癧のごとき、難病が頻発するが、それは和食が欧風化して雑食になった結果で、単に我が国の天地気候に適しない食養法であるだけでなく、東方君子の国の真人を育てる正食正養の食生活を排斥し、あるいは忘却して、純然たる商売国人になろうとする過程の時勢であるから、なおいっそう心配しないわけにはいかない。

  かれこれと塩うす物を食らいなば
            臓腑腐れて蟲もわくなり
  塩からき菜や味噌にて飯食わば
            結核病のわずらいはなし
  君国に住みし程こそ浄土なれ
             悟りて見れば穢土の牧民

肉食を重んじる世論景況、及びその評

 しかしながら最近の学説によると、人体の栄養成分は単に有機性の蛋白、脂肪、でんぷんの三者だけとして、特に滋養の第一と信じられている蛋白は、もっぱら動物性の肉類を重視し、植物性の食品をあえて多く摂らなくても、無病健康になり、長寿を保つと信じているだけでなく、動植物の二物を配合した調理の品定めは、毎日雑食しているにもかかわらず、ただ一物単味の消化吸収の難易遅速を論じて、食事全体の消化吸収の難易遅速を説かないのは、あたかも芝居の役者を見て、その人だけを批評し、軍隊の軍人を見てその人だけを批評すると同じで、いまだその要点を突いたものだと言うわけにはいかない。
 我々の食物は消化吸収の作用をする無機性の塩類(食物を焼いて残った硬化成分)を必要とすることは、芝居が起居動作の手際を演じる時に振付師に依頼し、軍隊が作戦任務の進退を行う時、隊長が必要であるのと同じである。
 もし、振付師や隊長が小柄な人で、且つただ一人で、見え隠れして動作をする場合は、その道に精通した批評家でなければ、到底、芝居における振付や軍隊における隊長との関係がどうなっているかを、適切に批評することはできなくて、その芝居の趣向と軍隊の進退とに、どのような振付、どのような任務がるかは、ともすると知ることは出来ない。
 これと同じで、世の学者は有機性の栄養成分、すなわち蛋白、脂肪、澱粉はその分量が多く、無機性の塩類はその量が少なく、特にその中のカリ塩とナトリウム塩とは、その分量が最も少ないため、無機成分の有機成分に対する関係と効果は、あえて必要と認めるだけの価値は無いと軽視し、塩類の性質と効果について充分な化学的研究をせず、有機性に対して無機性の成分はどれくらいの割合で、食養上の均衡を保てるかどうかを知らないようである。
 従って無機成分に頼らないために、ただ有機成分の比例量に重きを置くだけでなく、蛋白質の過不足にのみにこだわって、我々の生命をつなぐ食物を批評し、これは消化する、これは消化しないと、一物単味について品評するが、実際に行ってみると、消化すると思ったものが返って不消化物になり、あるいは又、不消化物と認めていた物が、消化吸収するものになる。そのような例を挙げると数えきれないくらいある。

食物の消化不消化は相手次第による

 さらにこれをきびしく批判すると、人体を栄養する食物には有機と無機の両成分を必要とするものなのに、ただ有機性にのみに片寄って、その性質で食その物の消化吸収を批評するのは、まるで相手がいない碁打ちをつかまえて、上手下手を判定すると同じことである。
 碁打ちが石を置く場合、相手によって、名手になったり悪手になったり駄目になったりするもので、我々が食品の消化吸収を論じるのも、また殆どこれと同じである。
 例えば、塩のからい魚の干物と、古い沢庵漬けと糠漬物とは、米麦の主食が少なく、野菜の副食を多くする雑食人種では、その人がよく運動をしても、不消化物になって、多く吸収されないものである。
 反対に、米麦の主食が多く、魚と野菜の副食を少なくする正食人種では、その人が労働をしなくても、消化が速くよく吸収するものである。
 又田舎から都会に移住して、段々と甘い物好きになった学生には、不消化物になって吸収しないけれども、田舎に永住して塩辛い物が好きな子供には消化物になって吸収するようなものである。
 又、数の子、ごまめ「おせち」(人参、牛蒡、コンニャク、昆布、ごまめのいわゆる煮物を言う)の類は、雑煮餅や牡丹餅、もしくは団子の類を多く食べる人には、消化物になって吸収されるが、餅類を好まない人には不消化物となって吸収されないようなものである。
 又、体外のことになるけれども、調理する時、使う食材によって軟熟になるかどうかを見れば、消化吸収の程度が推察される。
 ここに、二三の例を挙げる。昆布を煮る時に、小豆か大豆を入れれば最も速く軟熟になり、古い沢庵の大根を軟化するのに、大豆あるいはエンドウを入れて煮れば速く軟熟になり、タコを煮るのに芋か栗か、または大根の類を一緒に入れれば、いわゆる「芋だこ」のような料理になり、肉類を煮るのにコンニャク、ゴボウ、大根、ネギ、カブのような野菜類を混合し、なお速く軟熟にしようとすれば、これに大豆を加えて薩摩汁のようにすれば、その肉は非常に軟らかくなって、かつ風味も良く、消化吸収が良いものになる。
 これとは反対に、海に近く塩気の多い都会に住み、運動が少ない美食家や熱病になった人が半熟の卵に塩をまぶして食べたり、あるいは米の白粥に塩と生卵を入れて食べたり、あるいは醤油を入れた玉子焼きに、大根おろしを添えて食べたり、あるいは生姜やサンザシを入れないで煮た牛肉魚肉の佃煮のような、あるいは牛鍋に味噌を入れないで、初めに脂身でその肉を炒め、汁を作った後、豆腐、コンニャク又はネギ等の野菜類を入れて煮た物を食べると、肉は凝固し縮小して堅くしわくなるので、労働が少ない人には、消化吸収できるものにならない。
 まして肉が多く野菜が少なく、塩気の少ない副食を多くして、主食の米飯を少なくする人は、なおさら消化吸収が悪くなる。
孔子も「醬(油)を得ざれば食らわず」と雑穀には塩気を加えないと消化吸収がうまくいかないと言っている。(ただし醤は将である、武将の将と同意で、塩が食物の毒性を抑えるのは、武将が暴悪を平定するようなものである)
 ああ、酸化力の盛んな我が国の人が、雨が少ないヨーロッパの涼冷国の人と同じように、塩気の少ない牛乳、果物、ジャム、アンパンその外、この種の物を好み、いやこの種の物を常食して健康人になろうと夢見る人が何と多いことか。

  料理には畑の物に海の物
         肉も野菜と合うて味よし
  昆布と豆栗と鮹とを煮合せば
          山と海のと異心同体

食物は皆一定成分の比例量を有す

 そもそも、日本人の食物は、皆それぞれに一定の割合を持っている有機物と無機物との二つの成分よりなるものであって、その有機物は先輩達が大変苦労して、その性質と効力を論じているが、無機物においてはほとんど度外視して、その性質と効力及び結果を研究する者は、極めて少ないため、私はその無機物に大変興味を持って、まずその中のカリ塩とナトリウム塩との両者を選んで、これを化学的な理論に基づいて研究実験したが、カリ塩が多い食品(豆や芋など)は煮ると常に軟らかく大きくなり、ナトリウム塩の多い食品(肉や卵など)は、煮ると常に硬くなり、小さくなる性質があるので、硬くなったり軟らかくなったり伸びたり縮んだりする両物質は適当に配合し、塩けの強さはその物、その人、その職業、その時に応じて加減すれば、ただ割烹料理に趣味と風味を添えて適度の弾力性のある食事となるだけでなく、このように食事をすれば腹具合も良くなり、適度に消化吸収するものである。
 従って食物が腹にもたれる心配もなく、またすぐに空腹を感じる恐れもなく、まるで灰分の少ない木炭よりも、灰分の多い、すなわち無機成分の多い石炭の方が火力も強く燃焼時間も長く、いわゆる炊きごたえがあるように、人もまた食事に、有機成分と一緒に灰分である無機塩類を適量摂取すれば、肉体にも精神的にも、力がつき、優秀な、俗に言う根気強い、腰が強い、あるいはたくましい体質になって、常に便秘をせず、下痢もしないで、毎日、快便になり、智才兼備、無病健康になり、天地自然の恵みの中で生きることが出来るのである。
平成26年9月25日
訳者 長岡由憲