食養内科

14 石塚左玄の「食物養生法」現代語訳 ②                印刷はこちらから>>

石塚左玄著 食物養生法(復刻版)1974年 日本CI発行

第二章 穀類及びその他食品の化学的性質論(その1)42~60頁
  
 附 米穀は本来精白すべきではないと言う説
 「食が常なれば身もまた常にして心に常あり、食が異なれば身もまた異になり心も異になる」、とは私が断言する所であって、人類は穀食動物という食養の本分を忘れ去るべきではない。
 
 美食を好む情況

 そうは言っても古今東西の一般人はみんな美味しい物を好むもので、論語に「飯は精を厭(いと)わず」「醬を得なければ食わず」と書いてあるように、食物ことに穀類以外の食品は見た目がきれいで、多くの人はその人に合った甘みと塩気がある食品を好むもので、その状況はアリが甘い物に集まり、ハエが臭い物に集まるのに似ている所がある。
 もっと言えば最近の立食パーティにおいては、中流以上の人が多いにも拘らず、ご飯やパン以外の雑物邪味をむさぼり食う様子は、まるでブタのごとく、犬のごとく、カラスのごとく、アヒルのごとくで、その肉体と精神が邪雑粗笨(そほん)に出来上がる上に、雑食する人種の医学と衛生に頼るため、我が国に昔からあった食療治病の道は大いに乱れ、一定の制限をすることもなく、まるで飢饉の年のように海陸産の動植物食品を限りなく集め、欲望を満たすための食品を食べたいだけ食べ、舌先三寸の快楽と見栄を大事にし、ただ眼と口が喜ぶことを第一に考え、体と心の養いは第二にしているようであり、縦利主義より横利主義の方が比較的発達している現代においては、この勢いは止まることはなく、益々その傾向を高め、停止することを知らないようである。
 
 釈迦、孟子、孔子の食戒言

 このような状態であるから、釈尊は穀物野菜は浄物で食べてよい物とし、肉類は不浄物で食べてはいけない物という戒法を説いておられ、孟子も「飲食の人は即ち人これを賤(いや)しむ」と罵倒し、孔子も「士道に志して悪衣悪食を恥ずる者は未だともに議論するに足らず」と訓戒し、又「人として飲食せずと云うこと無けれども、その味を知る者少なし」と嘆くけれども、それなりに意味深い道理と証拠があるので、我々は化学的にその戒法、その罵倒、その意味を研究しなければならなくなった。

 米飯食者は木炭のごとく、雑穀食者は石炭のごとし

 我が国の主食は大半が米と麦の二種であるが、最近は大いに変化して都会市町の中流以上の者は、精白した米飯、あるいは食パンを常食して、麦飯、粟飯、小豆飯を嫌う傾向がある。
 その結果、肉体は比較的背が高く体は細く、顔は小さく脚は長く、病気を持った半健康状態で、浅はかで行動が軽々しく、頭は働くが度胸がなく、我慢する気持ちはあっても、長時間の根気と体力は非常に少ない。
 これとは反対に山野に住む人はわずかに米を入れた麦、粟、稗、トウモロコシのような雑穀を常用するので、比較的体格が大きく、顔が大きく髭(ひげ)がこく、優柔不断で度胸はあるが頭は回転は悪く、無病健康に成長し、気転は利かないけれど、根気と体力が強いことは人々が良く知っている所である。
 化学的にこれを話すと、前者の食物には弾力を付ける硬化成分のミネラル類が不足で、カリ塩に比べてナトリウム塩の量が非常に少ないけれど、後者の食物には度強を強くするミネラル類の硬化成分が多くあり、カリ塩に比べてナトリウム塩の量が多いことに基づくものである。
 これはちょうど、同量の木炭と石炭とに似ていて、そのミネラル類すなわち灰分が少ない木炭は、石炭より着火し易いけれど、燃焼力は少なく、その火力も弱く、ミネラル類が多い石炭は木炭に比べて着火しにくいけれど、その燃焼力は多くて火力が強いのと同じである。
 それで肉体と精神とを養成する食物として穀物野菜の皮と動物の骨にあるミネラル類を多く食べる山野人と、その皮とミネラル類を少なく食べる都会人と、この両者の仕事ぶりを見て、すでに明らかになっている化学的食養の理法があることを知るべきである。
 我が国の歴史を見ると、中世以前にさかのぼるに従い、武士以上の人はもっぱら米を食べたことと、多くの庶民は米だけを食べた人が少ないことは、ちょうど近世と反対である。
 仁明帝の頃は米代をたまわり、円融帝の時には老人に米をたまわったように、多くの庶民は陰性の大麦あるいは粟、もしくは稗などを米に雑ぜて日常的に食べた。
陰々の陽である小麦は、英米両国の白パンのように毎日食べたのではなく、日本ではうどん、そうめん、あるいは饅頭の類にして、これに塩気を加えて、一時の間食あるいはやむを得ない場合において、常食の代用にする風習があったのだ。

   かくまでに身の温まる草の実を
      ひえの粥とは誰かいうらん・・・順徳帝御製
   世の中に米の少しも持ちたきは
      飢えたる人と修行者のため・・・・・時頼

 このため我が国においては米を正穀とし、雑穀の中に入れている小麦で作った食パンを、近頃のように、君子国の気概を持たない商売国の雑食人と同格に毎日食べていると、その気風もまた女々しくなって、君子の男らしい人望と性格は、パン食する程度に応じて低下しているように観える。
 ましてわが国産の小麦よりもミネラルの硬化成分が少ない、すなわちナトリウム塩が少ないメリケン粉の食パンを食べ、しかもこれに調味料として、ややもすればバターに変えてカリ塩が多いいジャム付けて食べる、身の程知らずの学生がいるのは嘆かわしい。
 
 玄米が白米になった来歴、及びその進歩

 それで中古以前はもっぱら米を常食していたが、多くは玄米のままで、これを焼き米にし、あるいは蒸して強飯(こわめし)とし、漢時代の常食と同じく、乾粳飯(かんこうはん)として食べたものであるが、三韓征伐の後は、肉食すべきであると言う、第一回の襲撃を受けたため、その必要上より、明治年間の食生活と同じく、白米を食べるようになってしまった。
 そもそも我が国において、米を精白したのは、仁徳天皇の時代に始まったことで、その頃から足利時代の頃までは、食事も又、一日二回であって、その頃の言葉は今も交通の不便な辺地、殊に秋田県の士民間(しみんかん)に残っており、昼食を夕食と言っている。これは一日二食の証拠である。
 ゆえに同県下八郎潟の北方鵜川村(戸数五百戸程あり)においては、今もなお十月の頃より三月の頃まで、昼が短い半年間は一日二食にして午前は十時前後、午後は四時前後に食事をする古い習慣が残っている。従って朝餉(あさげ)夕餉の古語はあるけれども、昼餉の名前は今だかつて聞いたことがない。
 ただし米麦食を第一にしないで、雑物邪味を副食にするようになると、その程度に応じて孟子の言う、いわゆる「飲食に溺れる人」になるので、1日2回の食事は1日3回になり、3回半になり、他人はこれを賤(いや)しむが、家族同士では、誰もこれを賤しいと思う者はいないのである。

   一生の守り本尊たづぬれば
        あさ夕(ゆう)食べる飯と汁なり・・・古歌
   飯と汁これで足らせば足るものを
        足らぬというは鵞口(あひるぐち)なり

 その後、南北朝の頃においては、白米を食べる習慣はまだ全国的に行われていなかった。例えば宗良親王の子孫にさしあげるための、わずかの白米も尾張の国になかった。戦国時代においては加藤清正の七か条の法令に、「食は玄米であるべし」とある。徳川時代になると、寛永二十年三月の、士民仕置き書第四条に「百姓たるものは常に雑穀を食べるべし、みだりに米を食べてはいけない」とある。現代からこれを考えると、一つには人々の分限を戒(いまし)めたものであって、又一つには化学的衛生法の要点であることを知っていたのである。
 「名将言行録」に井伊直孝は三十万石の領主であったが、家綱将軍のお供をして日光に詣でる時は、いつも玄米の飯を食べて行き来したと書いてある。また春日の局は玄米の飯に糠みそ汁と塩イワシを添えて食べられたように、その頃、高貴な人であってもこの程度であったのだから、それ以下の家来たちは言うまでも無いことである。
 しかしながら、平和な時が続くと、才が進み、智が後退して、人々が衣食住に贅沢を極める様になり、段々と変化して、享和文化の頃になったら、身分の高い方では家斉将軍が贅沢になり、有識者が皆、徳川家の衰退を心配する頃になると、上流の生活を下級の人が真似をして、江戸の武士町人は衣食住に贅沢になり、殊に食事は精白の米飯に濃厚な品を添えて多食するようになった。

 脚気の化学的病毒

 又、各藩の参勤交代を任務とする若い藩士は、地方の藩にいる時は、粗食や野菜中心の吸い物をよく食べているが、一旦花のお江戸に来たならば、急に贅沢になり、食事は純白の米飯に厚味の魚類を副食とし、それを多食するような食事に変えたのにも拘らず、調理の方法は地元にいた時と同じで、塩気を強くして、野菜類の補給は非常に少なく、ついには麻疹(はしか)の流行が起こり、脚気が頻発したため、文化年間の頃、高松芳文が、「脚気提要」の序文に「近年、人多く脚気の病に苦しむ」と記述しているように、当時の脚気を化学的に観察すると、カリ塩が不足して、ナトリウム塩(すなわち食塩)が過剰になったために発生する熱性の脚気なので、原因は一つに米の毒、二つには塩の毒が考えられるけれども、最近の脚気、殊に、日清戦争後、その中でも日露戦争後は、その反対で、正食より雑食が多いため、カリ塩が多くナトリウム塩が少ないために起こる脚気であるから、果物、食パン、サツマイモを多食するため、自然に塩分の強い漬物や味噌汁が嫌いになって、これらを食べないために起こるカリ塩過剰でナトリウム塩と油脂分が不足する、寒性の脚気になった。
 又、我々が知っている所では、すでに嘉永安政の頃から、精白米に上中下の三段階があったが、明治五年からは、三段階を改めて、白米は一等から五等の五段階とし、その一等、二等の酒米、酢米(すしまい)を通常のご飯米と思わせるように言って販売し、買う人も女中の目には真っ白で美しいけれど、主婦の耳には、上等で優秀であるように、心地よく聞こえ、今と同じように二割以上を糠にした酢米あるいは酒米を飯米に常用して、段々と虚飾的に贅沢になり、その品位を高めた。
しかし、この時期を過ぎたら研究当事者が一物単味の形質硬軟に拘(こだわ)って、食物の消化不消化を化学的に考えないで、眼と口で美観美味を判断して、その食質が軟らかいと消化し易いと見なして、ついに玄米の甘皮(糠即ち銀皮)を全脱し、明治二十六年の頃は一時摩擦米(まさつまい)と言って、全国一般に広げ、とりわけ戦時のように無病壮健にして、馳躯奔走(ちくほんそう)に適応する身体を要する戦時中も、又この精白米を使おうとすることは、我が国の位置地形天候を考えない、世間一般の解釈で、文明開化の流れに誘惑され、口に甘く、目が喜ぶ表面的な快楽を優先して、体の健康と心の健康という内面的愉快は後回しにし、病気になって倒れるまで私は無病健康であると愚考するようなものである。

 玄米の甘皮1枚を剥ぎ取るのに千五百年の星霜

 これを要約していうと、千五百年間と言う長い年月をかけて玄米の甘皮を一枚剥ぎ取ったことは、実に不思議なことであって、我々の身体を成長させ長寿にする毎日の主食物を、大変苦労して、硬化成分の夫婦二塩(カリ塩とナトリウム塩)を減少させた経過の概略である。
 さらに言うと、玄米の甘皮は甘味が付いた甘い皮であるが、糠の字は米偏に健康の康の字を書いてあるように、米は糠と共に食べれば単に健康になるだけでなく、その特徴は他の食品のように、あえて水火の二力を借りなくても、手塩で生食できるものであり、真に人間が食べるべきを知っているのに、どうして甘皮を取ったのか。
 ただし火を使って玄米を炙(あぶ)れば、食べやすくなるけれども、このために身体の筋骨を支える、弾力成分を幾分か減らすことになる。
 ああ、どうして、大豆、小豆は莢(さや)より出した物をそのまま煮たり炙って食べるのに、ひとり米だけは籾(もみ)から出した玄米を更に精白して食べなければならないと言う道理があるのか。
 
 菩薩の罰、肉を食べた報いで病の増進

 しかし、我々が現在食べている米飯は、昔の人が食べていた半搗き米より変わって、米麦の精白度が進歩した。そのため、剥ぎ落した物を補うために、夫婦二塩のミネラルバランスを良くしようと、穀物以外の副食を食べているが、その主と副の字の意味を理解していない。
 人の口に入る食物は本来、主食が多く、副食が少ないものなのに、しだいにアヒルの口かブタの口に似た人になり、副食が多く、主食が少ない、すなわち野菜類・肉類が多く、米麦が少ない雑食になった。
 そのために、ナトリウム塩、カリ塩のミネラルが中庸の均衡を崩(くず)すことになり、特に明治年間に入ってから、内科の病気が昔より多いに増加しているように見えると言ったのは、私の知人の老医が親しく話してくれたことである。
 この一言ですべてを断定することは、早合点になるかもしれないが、もしも、この話のように、脚気や胃病や結核や、あるいは赤痢や癌腫や神経衰弱、又は腎臓病、糖尿病のような病気が実際に多くなっているのは、一つに主食である米の精白度が大進歩したことが原因であると言えるけれども、それを菩薩の罰であるのと分からず、なおかつ食パンなどを多食するという食生活は、まったく我が国の位置気候を忘れ、近海人が大陸人のように、肉類や厚味品を多食して、その上、果物類を好むことに原因するのである。いわゆるしし食った報いの罪で、じつに天然自然と天地万物を作った主の本意に背いた所によるからだと思わずにはいられない。

   病いみな日々食物の食い違い
           真面目の食に煩いはなし
   雑食は塩辛くして用ゆれば
            バチルス類のわく由もなし

 麦飯が病気を治す理由

 現在、脚気その他の病気に著効があると言われ、上流も下級もが、大昔の武士農民と同じように食べていた麦飯に使う大麦は、米が正穀とすれば陰穀になるので、外皮が麦粒の中に陥入しており、これを精白しても米粒のように完全に外皮を取り除くことが出来ない。
 又押し麦にしても、まだ外皮が残っており、灰分(カリ塩を有す)の減少が米より少ないため、麦を混ぜた白米食(米六七分、麦三四分)にすれば、白米だけのご飯のように美観美味でなないけれども、純白米飯に比べて夫婦二塩の無機成分を多く含む。
 だから麦飯は純粋の澱粉粒である米飯のように、糖化する化学的作用が少ないので、麦は味が美味しくないと言っても、これを日常的に食べる時は、カリ塩の痲性脚気とは反対のナトリウム塩の多い実性脚気、及びその他の同じような病気に対して、単に著効があるだけでなく無病健康に長生きする人は、概して邪味雑食をしない昔の人、もしくは近頃でも殊に、都市以外に住む米麦食者の多くは、このために邪味雑食が少ないこともあり、麦のおかげで多いに体力がある。
 故に昔、田舎で食べていた全粒の麦飯は、脚気及びその他の病気によく効果があると言われた。それは糟を捨てることが少ない麦焦(こが)しの粉よりよりやや劣るけれども、その皮から食療的に夫婦の双塩と、硬化成分を多く補給するからである。
 夏に用いる麦茶は、食魚者が番茶を好むようにはいかないが、カリ塩が多い塩類を補給するためのものである。

 食パンはその身、その家、その国を弱くする

 食パンの製造に使用する小麦は、大麦よりカリ塩の量が多いが、これを粉にして食パンにする時は、無機成分即ち硬化成分の減損が多い上等品になるに従い、幾分甘味を増してくるが、世人が思うように消化吸収が良いものではない。
 又、食パンは我が国の発熱病者に必要な塩類、即ちカリ塩を補給するには、米麦食より勝る所があっても、これは一時的な効果をするだけで、日本のような米を食べる国においては、けっしてこれを長時間、永久的の食養に常用すべきものではない。
 なぜなら、食パンにする小麦は第一に身体を養う効果が、陰陽両性を持った粳(うるち)米に及ばず、陰多陽少の大麦にも劣るもので、その効果を米と比較すると、大麦は粳米で、小麦は糯(もち)米に相当するようなものである。
 しかるに、知を持っていても仁を無くした、最近の人は化学を度外視して、食パンは米麦以上の養身力があると見なして、英国ドイツ等の国に比較して酸化作用が急速で、天候和暖で春のような我が海国人にも、万国共通の郵便切手と同様に、適用すると思って、無意識に食パンを毎日、常食するとは、その身が不幸になることはもとより、延(ひ)いては国家の隆盛にも、はたまた子孫の繁栄にも、不測の弊害を及ぼすことが大きいことを、側面より推察すると、ますます慨嘆に堪えないのである。
 なおこれを詳しく言うと、我が国においては世界に類がないが、穀類を大きく二つに分けて、穀物と雑穀にするが、米は正穀で小麦は雑穀中の雑穀で、米の産出量に比べると特に最少の収穫であるが、その栄養価においても、その価格においても、また粳米や大麦にも及ばないものである。
 すなわち小麦がカリ塩を含む量は、大麦より二倍三分、玄米より五倍四分多いので、小麦の食パンのみで身を養う人は、米食者に比べて体量が劣る、すなわち体重がない軽い身体に軟化し、身長は米食者より高くなるけれども、顔面ははなはだ小さくなり、総ての体力の減少を来す原因になると知らなければならない。
 ヨーロッパの涼冷国人より腐敗作用が速い我が和暖国人においてはなおさら食パンは要注意である。
 もし食パンでもって、我々日本人を養おうとすれば、酸化力を遅れさせ、これを防止する効果のある、塩「バター」を最も多く食べさせなければならない。そして、これと一緒に食べる物は、すべて塩気と油けを強くして、養身しなくてはいけない。
 しかるに、どうして米より五倍以上カリ塩が多い食パンに、カリ塩を最も多く含んだジャムを付けて食べる人がいるのか、これは命知らずと言っても過言ではない。
 バーランド氏がかつて次のように言った。穀類の灰分量(すなわち塩類で硫化成分を有す)は砕粉の度合いに関係し、その穀粉が微細なれば成るほど灰分の量も、それに応じて減少する。小麦の極細粉で、百分の0.5乃至0.6である。なおその詳細については、化学的食養長寿論を参考にされたい。

 重湯の作り方

 又、大病の患者に用いる「おもゆ」は重い湯という意味で、これを作った後の米粒は、滓(かす)になっていて、病人にはもう無用の物と考えるべきである。
 しかしながら、我が国の上古及び中古時代の製法は、玄米或は炒り米を、適度の水を入れ、よく煮出して取り出した汁であるから(糊汁のように濁らないので、頼り無いように思えるが)夫婦二塩の割合が良いので、これを服用すれば真に栄養になるだけでなく、消化に吸収に解熱に鎮嘔に効果があり、身体の元気体力を挽回させ、気分爽快に命を長らえることが出来る。
 「本草備要」の粳米の項に「煮汁は熱を清(ひ」やし、喝を止める」と言い、「めぐらすことは、他の物で及ぶものではない」という理証がある。
 又、傷寒論に「お粥は補養して薬力を助ける。今の人はどうかすると病人に穀を絶たしめて胃が敗れ、誤死するものは数えきれない程である」とある。
 又、我が国の山間僻地に住む、商売気の少ない雑食人は、一たび病気になって命が危なくなった時、玄米湯を飲ませても助からなかったら、寿命であるとか天命であるとお互いに言って諦めると言う。このような神にまかせる俗言を耳にするのは珍しいことではない。
 これは要するに、玄米は寒熱を中和して病を養う以外に、熱を除き消毒の特効があるからである。
 さらに言うと、桓武天皇の詔に「帝民を養うのは、よい穀物を基本とする」とあり、米以外の雑穀と野菜類とは末のもので、邪味である肉類魚類は又その末になる物ではないか。
 しかるに、世間の人は真っ白い米飯、あるいは粒糊飯(つぶのりめし)に湯水を注ぎ煎じて作った汁を「おもゆ」だと信じて、これを病人に与えるけれども、もとからその効果は無いだけでなく、無熱はむしろ発熱になり、鎮嘔はむしろ催嘔になって衰弱するのは、すなわち純然たる澱粉質、例えば山慈姑(やまくわい)の湯に似た、米の糊汁を服用するようなもので、これを疑う人がいないのはどういうことか。
 そして、本当の「おもゆ」に活力を挽回する効果があることを無視軽視して、その作り方を見直す人がいないようである。
 これは傷寒論を書いた仲景の言う「胃敗れて誤り死する者」の類と同じものである。
 又、病人用のお粥や雑炊を作るには、玄米あるいは炒り米を用いるのが良いが、もし食べにくい時は、これに幾分かの白米を混ぜて粥にし、あるいは湯水に代えて玄米湯を使って白米の粥にすれば、純然たる白米の粥よりはるかに優る所があると言える。
 但し、結核性のような陰性病には、食塩に換えて醬油、或いは味噌を加えて、塩辛くして食べるに越したことはないが、チフスのような陽性病には白米も食塩も入れないで作った玄米製の飲食物の方が効果がある。

 蕎麦の食べ方

 蕎麦(そば)は夫婦アルカリの割合が適切で、比較的ナトリウム塩が多い穀類で、他の穀類と副食を食べなくても、蕎麦一味でもって充分に身体を栄養するものである。
 だから、修業行脚の僧侶のある者が、蕎麦一味を携帯して、野山を歩き、食べる時は蕎麦を水で塗(まぶ)して食べ、全国を歩いたのは、蕎麦だけで健脚健身を維持できる証明でなくて何と言うか。
 しかし、都会市町人のように、魚類肉類及び間食品を食べる身体の人が、ざる蕎麦及び盛り蕎麦などを食べる時に、消毒の効果がある薬味として、七味唐辛子あるいは切り葱、又は大根おろしを添えて食べない人がいる。これではナトリウム塩の毒性を抑えるカリ塩を補給できないので、夫婦二塩の均衡が悪くなる夏時期、特に陰欝で蒸し暑い時は、蕎麦を食べた時に、しばしば下痢、あるいは腸カタル、あるいは霍乱等のような塩の中毒を発生する病気になる。これは蕎麦の食べ方を知らないからである。

 蕎麦うどんの嗜好は地形天候による

 従って、我が国において、蕎麦は本来、寒地人に必要であるが、暖地人には必要がないので、北陸、東山の二道においては、蕎麦屋が多くうどん屋が少なく、大阪以西以南の地方においては、うどんを食べる人が多くて、蕎麦を食べる者が少ないのも、又地形天候に応じて食養に要するカリ塩とナトリウム塩との夫婦アルカリの割合に関係しているからである。
平成26年10月17日
訳者 長岡由憲