食養内科

     16 石塚左玄の「食物養生法」現代語訳 ④     <<印刷はこちらから

石塚左玄著 食物養生法(復刻版)1974年 日本CI発行
第四章 夫婦アルカリの性質・効力及び結果論(その1)125~134頁

 山地に住む人は魚の大きいことを知らないで樹の大きいことを自慢し、海辺にすむ人は樹が大きいことを知らないで魚が大きいことを自慢する状況は、ヨーロッパとアジアが交流する様になった今日でもまだ残っている。
 なぜ残っているかというと、結局、考え方に一定の基準が無いために、あっちより私の方が大きいとか、あっちより私の方が長いとか、ただ物を比較して、勝るか劣るかを判定しているのは、外見見栄を重視するからである。
まして、カリ塩、ナトリウム塩は外からは見えないものであるから、この化学的な性質・効力はなおさら分からないものである。

 欧州には熱病があっても寒病はない

 欧州には熱病があっても寒病はない。従って解熱薬はあっても発温薬はない。アジアには熱病があり寒病もあり、また寒熱のどちらにも片寄らない病気もある。従ってアジアには解熱薬があり発温薬もあり、補養する薬もある。
 外観的な違いで済まさないで、内観的に考察しても又違いがあるもので、欧州の医者は熱病に頻繁にカリ塩剤を投与して解熱の効果があると言うが、その理由を知らないので、アジア人の医者のようにカリ塩剤を真の解熱剤に入れていない。
 従って、欧州の医者はカリ塩剤の効用とは異なる、無カリ塩を人工的有機性の虚性解熱剤として用いなければならないのである。

ヨーロッパとアジアの解熱剤は
無カリ塩剤と有カリ塩剤の違いがある


 アジア人の医者はこれとは反対に熱病に天然のカリ塩を含む草根木皮の真の解熱剤、すなわち寒薬を使用する。
 しかし、アジアの医者は、普通より体温が低い、いわゆる寒病(ヨーロッパの医学には存在しない。又一程度の体温を有する無熱性の病気と混同してはいけない。)に対しては、草根木皮の真の解熱剤は絶対に用いず、カリ塩が少なくナトリウム塩が多い薬、あるいは動物性薬品すなわち発温薬を賞用している。
 両者を比較してみると、欧州の医者が熱病を治す場合は、アジアの医者のようにカリ塩が入った真の解熱薬使わず、カリ塩の入っていない虚の解熱剤を用いるだけでなく、滋養物としてナトリウム塩が多い動物性食品を主に用いている。
 すなわち欧州の医者はアジアの医者が冷え症に用いる温熱薬を、熱病に使用しているようなもので、治療上は雲泥の差があると、現在の時点で言わざるを得ない。
 まして、古典の素問に「魚を食べると人をして熱に当らしむる」とあり、又「甘美(肉類)を食って肥った人は、熱病を治すのに蘭草(いぐさ)を使う」とあるように、動物性食品はみんなこのようなもであるのだから。
 しかしながら、昔の人が「嘉穀(かこく=すばらしい穀物…訳者注)ありと言えども食わざれば、その旨きを知らず。至道ありと言えども学ばざればその善きを知らずなり。」と言うように、欧州とアジアの両州における様々な出来事は、みな我々の参考材料になるが、我々の大事なことは、ただ学問的な道理によって、他人の味を吸って自分の養いとすることは無論であるが、「郷に入れば郷に従い、俗に入れば俗に従う」と言うように、我が国では国の地位地形と天候湿乾を考えて、天地の法則に合致する無病健康で、知能才能を兼ね備えた優秀な人物になるためには、まずこれに適合する食育、食養の道に、化学的な程々の標準程度を求めないのはあり得ないと思う。
 まして、左伝には「天、時に反すれば災いとなり、地、物に反すれば妖(よう=化け物のようにあやしい…訳者注)となる」と言うように、化学的には「人、食に反すれば病となる」と言うことが出来るのだから。

 無病健康の化学的基準

 そのために私は未熟者ではあるが、幸いにして我々人類が無病健康を保つための一つの化学的標準として支障の少ない食養理論を発見したので、内外古今の事実、証拠になる例を挙げて解説し論証してみよう。
 人類及び動物を栄養する食物に含まれるカリ塩とナトリウム塩とは、右の図のように、ナトリウム塩すなわち塩気は海洋より山上に吹き上る、カリ塩すなわち、あく気は山陸より海浜に降り下りる。
 このように相互に逆行して分布するので、その途中の土地で生まれる千差万別の食物及び人種には、カリ塩が多くナトリウム塩が少ない、あるいはナトリウム塩が多く、カリ塩ガン少ないのは無論のことで、空気も又これと同じで海浜はナトリウム塩を含むことが多いが、山陸はナトリウム塩を含むのが少ない。
 それで海地に住む人の多くは病気がちで短命になり、山地に住む者の多くは病気になりにくく長生きする。その原因は日常体に入れている食物中にある、カリ塩とナトリウム塩との量の差に関係しているからである。
 このゆえに、朝鮮本の東医宝鑑に「山に居る者は寿(じゅ=長命…訳者注)、海に居る者は夭(よう=短命…訳者注)」とあるが、昔わが国では国事犯人を遠海孤島に流す法律があったが、これは自然に、その人の死期を早めるための慈悲心から出たことであろうと推察する。

有機・無機の栄養成分は、軍人・軍属の将校・下士・兵卒のごとし

 そんなわけで、最近の栄養学理論は、人の食物燃焼質である有機物の蛋白、脂肪、澱粉の三者でもって、これらの栄養価がどうかとか、栄養量がどうかとか論じられているだけで、不燃物である無機物の塩類(食物を焼いて残った灰分)、殊にその成分(灰分中にある成分で、カリム、ナトリウム、リン酸石灰、炭酸、クロール等のようなもの)を単独に、または総体的に論じたものは、有機物に比べると、九牛の一毛に過ぎないと言う悲しい状態である。
 それだけでなく、頭脳肉体の優秀な人間を作り上げる有機無機の各成分は、まるで一軍隊を編成する軍人・軍属の将校・下士・兵卒随従者のようで、お互いに合体共働して、始めて国家安全の軍隊が出来上がるものなのに、栄養学理論を総括して全体的に化学の理論に元づいて、詳しく研究したものは非常に少ない。
 まして衛生、生理、病理の学説上にはカリ塩とナトリウム塩は、単にアルカリ物と言われるだけで、その性質効力を同一視している最近の傾向であり、化学においてもまだ、はっきりとした認識がなく、詳しい確かな解説はない状態なのだから。

カリとナトリウムは男女の赤ん坊と同じ

私が考えると、アルカリ性のカリとナトリウムとは、その性質が似ているので、どちらがカリでどちらがナトリウムであるかを、試薬を使わないで識別するのは難しい。これは生まれたばカリの赤ん坊の性別を、顔を一目見るだけではすぐに判断できないのと同じような感じである。
しかしながら、カリとナトリウムが酸類と結合して塩類となると、ここで初めて特徴が出るのは、赤ん坊が大きくなって結婚した時にその性格が現れるのと同じである。

夫婦アルカリ塩と名前を付けた理由

 カリ塩とナトリウム塩の性質効用は、まるで一家の夫婦のようで、これを分カリやすく言えば、いわゆる持ちつ持たれつという関係で、カリ塩はナトリウム塩を制御し、ナトリウム塩はカリ塩を制御する。
 これを逆にいうとナトリウム塩はカリ塩に制御されカリ塩はナトリウム塩に制御される作用があって、その両方の任務は有機物の澱粉、蛋白、脂肪と一緒になって、体を作り健康を保つ食生活において、その量、その差(任務時の年齢と結婚時の年差となる)は、相互に比例して釣り合いを保ち、我々の身体を養う食物や、健康な身体になるのに、一瞬たりとも欠かせない、離れることが出来ない重要な必要物であることは言うまでもない。

食物の配合は軍隊の組織と同じ

 人の食事内容の配合は軍隊の組織と同じで、食の命脈である澱粉は、軍隊の命脈である兵隊のようで最も多く、これを擁護する蛋白、脂肪は、前列と後列の下士官のように、これも多数であるが、これを統率して調節するカリ塩は、主動者の大任を持った隊長のように少数で、これに従うナトリウム塩は隊長を補佐する副官のように、最も少数で足りている。
 人の食事も、化学的の理論に準じると、軍務の規則に服従すると同じく、各物が協同一致して、中庸の食養をするのは、軍が各自協同一致して不偏の軍務を尽くすのと同一であるので、人体を無病健康に保養するのは、国体を無事安穏に保護するのと同様である。

カリ塩は隊長、ナトリウム塩は副官

 ところで、兵隊である澱粉と、下士官の蛋白脂肪とは、先進者が生理及び衛生上に研究して論じているが、まだ化学的に論じ尽くされていないので、「食養長寿論」の第三章のその一、その二、その三の条を参照されたい。
 そして、先人が食養上、軽視して詳細に論究しなかった隊長であるカリ塩と副官のナトリウム塩とについては、化学の学理に照らしてその性質と、効力のあらましを論述してみよう。

 カリ塩は酸素を吸収しナトリウム塩は酸素を吸収しない

 (一)カリ塩は酸化作用の主働者で、空気から酸素を吸収するが、ナトリウム塩は酸化作用を抑制して、酸素を吸収させないものである。
 例えば、木綿の糸を水にぬらし、これにカリ塩の本体である木灰を塗って充分乾燥させると、その質は柔軟になり、これに点火すれば、速やかに燃えて白い灰になる。
 ところが、今この木灰に代えて水に浸した糸に食塩を塗布し充分に乾燥すると、前者の糸よりその質が硬くなり、一端をある物に結び付け、他の一端に青銅銭一文を結んで吊るし、安定した後、これに点火して燃やしてみると、その糸は黒い灰になって、銭が落ちることはない。その図解は次頁のとおり。

 燃やした塩糸に銭を吊るす説明

 これはなぜかと言うと、カリ塩の糸は空気から十分に酸素を吸収し、充分に酸化して灰になるが、ナトリウム塩の糸はわずかに酸素を吸収するために、充分に酸化しないで炭になるのである。
 これは炭を焼くかまどの、空気の流通を止めるために、通風口をふさいで、充分に酸化させないようにしたのと同じである。
又、カリ塩の多い野菜類を貯蔵するのに塩漬けにするのも、その中のカリ塩により野菜の酸化、すなわち腐敗を防ぐことに外ならない。

 血液が酸素を吸収するのはカリ塩の働きで、
ナトリウム塩はこれを抑制する力がある


 ゆえに穀物、野菜、果物のような食物により、身体にカリ塩を入れれば、血液は充分に酸化するので、新陳代謝の機能は自然と盛んになるが、 魚鳥・獣肉・卵及び塩味品のような食物から入るナトリウム塩は、血液の酸化作用を抑制するので、その機能も自然と不充分になる。
 従って、一定量のカリ塩を入れる野菜食者が病少多寿なのは、常に新陳代謝の機能が充分なためで、呼吸が安定し、精神が爽快で、運動が自由で、根気が出て、皆自然のきわめてすぐれた作用なのである。
 孟子が一方で「飲食に溺れる人はすなわち人これをいやしむ」と言い、他方で「よく浩然の気を養う」と言ったが、この状態を指しているのであろう。

平成27年1月13日
訳者 長岡由憲